死ぬまで使えるもの 3
2007/07/05(Thu)
プロのアスリートたちは、限られた条件の中での記録や勝敗に徹底的にこだわっていきます。
その為には、どうしても無理します。

からだの自然・・・などと悠長な事を言ってられませんよね。

ここの所がプロとアマの大きな違いなんですね。

プロはからだが壊れるぎりぎり限界を少しずつ広げながら、記録と勝敗にこだわります。

だから、できることなら死ぬまで楽しみながら、自身の健康度を保って行こうとする、一般アマチュアは、初めから目指す物が違うのです。

何でもプロのまねをしてはいけないんです。

そう考えた時、われわれ一般の人間は、せっせと筋トレする事やハードなトレーニングをこなす事がどれほど必要なんでしょうか?

ここから先は人それぞれですから、これ以上はやめときます。

ただ、どちらにも共通する、大事な事があります。

理にかなったからだの使い方が不可欠だと云うことです。

よりハードにからだを使おうとすればするほど、技にまで高められ、磨かれた身のこなしが必要になります。

そうでないと、すぐケガに結びつきます。





ここに、私が尊敬する、野口体操の野口三千三先生の文章を紹介します。


「多くの職人や古典芸能などにおけるように、体操もまた恍惚の人になるまでは、正しい練習をする限りはのびつづけて、奥深い境地が開かれるような動きこそが、体操の本流でなくてはならないはずだ」

(野口三千三 原初生命体としての人間 から)





以下、私流の解釈です。


「多くの職人や古典芸能などにおけるように、からだの使い方(動き)もまた恍惚の人になるまでは、正しく使い続ける限りはのびつづけて、奥深い境地が開かれるようなものでなければ、齢とともに不都合がふえつづけて、自分のやりたい事がどんどんできなくなってしまいます。

いま自分のやるべき事ができないと言う事は、自分自身の生きている充実感、満足感がどんどん希薄になり、健康度がますます低下していく事だと思うのです。」




「追記」
誤解を招く記事。との御指摘を頂きました。
最後の私の文章です。

いつまでも、若者の様に動く事が良い訳ではありません。
歳と共に、動く範囲も量も少なくなります。
事故や病気で、急激に運動量が落ちる事だってあります。
それらを否定するのでなく、肯定して受け入れる事がまず大事な事なのですが、

そのうえで、その時その人にとっての、今やるべきことをして行く事こそが、健康だと考えています。

まだまだ、言葉足らずだとは思いますが、
どうぞご理解頂きたく思います。

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レッドソックス松坂選手の言葉
2007/07/04(Wed)
今朝買ったスポーツニッポンの裏1面に、

レッドソックスの松坂大輔投手の記事が特集されていました。

右半分に、野球評論家で松坂が西武に入団した時の監督だった東尾修氏の記事。

左半分に、スポーツジャーナリストの吉井妙子氏の記事。

どちらも大変興味深い内容の記事でした。

そして、吉井妙子氏の記事の中に、松坂選手の次の様な言葉が紹介されていました。

「地球上の物体はすべて重力を受けていますから、立っているだけで足の裏から反発エネルギーを受けるんですよね。その反力を最大限に生かすには、かかとじゃなくて拇指球が大事。その一点に力を集約させることができるかどうかがまず第一歩」

普通、意識下で行なわれている身体の動きを知覚化し、
はっきりと認識しています。

やっぱりなと思った次第です。

松坂ーっ、がんばれよ〜!
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