ある仮説
- 2008/09/20(Sat) -
健康とは、深い感動で、多くの生命力を汲み上げる営みであるとした時、

どうすれば、より多くの生命力を汲み上げる事ができるか。

それはその人にとっての、その人だけの人生を生ききっている時だと云う答えが出た。


とすると、人の数だけ生き方はある訳で、

オリンピックの様な特別な経験だけが、多くの感動や生命力を湧き上げるわけではない。

毎日オリンピックじゃ、やる方も見る方も疲れ果てるわなぁ・・笑

(しかしオリンピックも生命力喚起の為の、ひとつのアイデアだね。)


どの様な体験をするかはどこに生まれたかみたいなもので、

各自の人生のドラマの背景のようなもの。


そこで、ある仮説を立ててみた。


生命力を汲み上げる機会は生きている限り、全員に
平等にあるのでは?・・・と。

平等に与えられているものを使って、どう工夫するかだけなのではないか・・と。


もしそうなら、


今、生きている事。


その事はすべての生命に
平等


生きるために絶対に必要な呼吸や飲食や睡眠や動き考える行為こそが、

平等に与えられた、生命力を得るための限られた手段。

その工夫次第で、どれだけの量を得られるかが変わってくる。


そこにどれだけの快・感動を付加できるか!・・・・



あったりまえの事かぁー!?・・・笑

仮説でもなんでもぬぇじゃねぇか・・・(スマン)


まあしかしー・・・そのあったりまえのー・・・そのこころはぁー・・・深いかもしれんのー・・・笑




さあっ! こんな事ブログッてる場合じゃあないよっ!

死ぬまで生きる事を味わおーっと!!

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